をすら平氣で而も巧《たくみ》に縫合はせる位であるから、其が假《よし》何樣《どん》な屍體であツても、屍體を取扱ふことなどはカラ無造作《むざうさ》で、鳥屋が鳥を絞めるだけ苦にもしない。彼が病院の死亡室に轉ツてゐる施療患者の屍體の垢《あか》、または其の他の穢《けがれ》を奇麗に洗ひ、または拭取ツて、これを解剖臺に載せるまでの始末方と來たら、實《まこと》に好く整ツたものだ、單に是だけの藝にしても他《ほか》の小使には鳥渡《ちよつと》おいそれ[#「おいそれ」に傍点]と出來はしない。恐らく一平は、屍體解剖の世話役として此の世に生れて來たものであらう。それで適者生存の意味からして、彼は此の醫學校に無くてならぬ人物の一人となツて、威張《ゐばり》もすれば氣焔も吐く。
 一平の爲《す》る仕事も變ツてゐるが、人間も變ツてゐる、先づ思切ツて背が低い、其の癖馬鹿に幅のある體で、手でも足でも筋肉が好く發達してゐる、顏は何方《どつち》かと謂へば大きな方で、赭《あか》ら顏の段鼻《だんばな》、頬は肉付いて、むツくら[#「むツくら」に傍点]瘤《こぶ》のやうに持上り、眼は惡くギラ/\して鷲のやうに鋭い、加之《おまけに》茶目だ。頭はスツカリ兀《はげ》て了ツて、腦天のあたりに鳥の柔毛《にこげ》のやうな毛が少しばかりぽツとしてゐる。何しろ冷《ひや》ツこくなつた人間ばかり扱ツてゐる故《せゐ》か、人間が因業《いんごふ》に一酷に出來てゐて、一度|此《か》うと謂出したら、首が※[#手偏に「止」、第3水準1−84−71、224−上段24]斷《ちぎ》れても我《が》を折はしない。また誰が何んと謂ツても受付けようとはせぬ。此の一平が何時ものやうに青い筒袖の法被《はツぴ》に青い股引《もゝひき》を穿《は》いて、何時ものやうに腕組をして何時ものやうに大きな腹を突出し、そして何時ものやうに上眼遣《うはめづかひ》でヂロリ/\學生の顏を睨※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−中段1]《ねめまは》して突ツ立ツてゐるのであるから、學生等は、畏縮といふよりは些《いさゝ》か辟易の體《てい》で逡巡《うぢうぢ》してゐる。一平は内心甚だ得意だ。
 間もなく學生は殘らず石段の下に集ツて、喧々《がやがや》騷立てる。一平は冷然として、
「幾らお前さん等《たち》が騷いだツてな、今日は先生がお出なさらねえうちは、何うしたツて此處《こゝ》を通す事ツちやねえ。一體お前さん等ア今日に限ツて何んだツて其樣《そん》なに騷ぐんだ……人體解剖ツてものア其樣なふざけた[#「ふざけた」に傍点]譯のものぢや無からうぜ。いくら綺麗な娘だツて、屍體《しびと》が何んになるんだ……馬鹿々々しい!」と大聲に素《す》ツ破拔《ぱぬ》く。
 是に反しては、各自《てんでん》に體面を傷ツけるやうなものだ。で何《いづ》れも熱《ほて》ツた頭へ水を打決《ぶツか》けられたやうな心地《こゝち》で、一人去り二人去り、一と先づ其處を解散とした。中には撲《なぐ》れと叫ぶ者も無いでは無かツたが、議案は遂に成立しなかツた。取分け酷目《みじめ》な目に逢はされたのは、先頭第一に解剖室へ跳込《をどりこ》むでそして打倒《ぶツたふ》れた學生で。これが一平に出口を塞がれて了ツて。まご/\してゐるうちに、遂々《とう/\》一平に襟首《えりくび》を引ツ攫《つか》まれて、
「さ、出るんだ、出るんだ。」と顎《あご》でしやくられ[#「しやくられ」に傍点]、そして小突※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−中段24]《こづきまは》すやうにして外に突出された。餘《あまり》の事と學生は振返ツた……其の鼻《はな》ツ頭《つら》へ、風を煽《あふ》ツて、扉《ドアー》がパタンと閉《しま》る……響は高く其處らへ響渡ツた。學生は唇を噛み拳《こぶし》を握ツて口惜しがツたが爲方《しかた》が無い。悄々《しを/\》と仲間の後を追ツた。
 灰色の空から淡い雪がチラ/\降ツて來た。北風が時々頬に吹付ける。丁ど其の時、職員室の窓から、長い首を突出して、學生と一平との悶着《もんちやく》を眺めてゐた、若い職員の一人は、ふと顏をすツこめ、
「また雪だ。」と吐出すやうに叫ぶ。
「然《さ》うかね。」と振返ツて、「何うも今日の寒さは少し嚴しいと思ツたよ。」
 と熱の無い口氣《こうき》で謂ツて、もう冷たくなツた燒肉《ビフテキ》を頬張るのは、風早《かざはや》といふ學士で。彼は今|晝餐《ひるげ》を喰《や》ツてゐるので、喰りながらも、何か原書を繰開《くりひろ》げて眼を通してゐる。其の後の煖爐[#底本では「煖燼」の誤り]《ストーブ》には、フツ/\音を立てなが石炭が熾《さかん》に燃えてゐる。それで此の室へ入ると嚇《くわツ》と上氣する位|煖《あツた》かい。
「風早さん、何んですな。」と若い職員は、窓を離れて、煖爐[#底本では「煖燼」の誤り]
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