る方が好い――と。
そこで俺は紙片に、時計の画をかいて、手真似で一昼夜とまって行くという意味を女に通じた。その意味が解ったのか、女は高い歓声をあげて俺に抱きついた。
女は俺の財布から七円とった。後では大洋《タイヤン》で二円と少しばかりの小銭が残っているばかりであったが俺は鬱血を一時に切り開いた時のような晴々しさを覚えた。この北満の奥地で運命を試すことは如何にも痛快なことではないか――俺は窓のブラインドをはねあげた。と、緑の曠野は血のような落日を浴びていた。風の動く影もない、粛殺たる光景である。俺の魂は落日の曠野を目蒐《めが》けて飛躍した。どこかで豚の啼き声がした。
表には、ここの女たちが男を誘惑する淫《みだ》らな嬌声が聞えていた。その嬌声に混って、胡弓の音がした。俺は何故ともなしにその弾き手を盲目の支那人であろうと思った。女は茶をいれた。
熱い、甘い茶を唇で吹きながらスプーンで俺に含ますのである。ひとりで自由に呑もうとすると、女は俺の手を軽く遮えぎった。そのやさしい手つきに、俺はふと母親の慈愛を感じた。
俺は生みの母親を知らなかった。――
お牧婆は、三十過ぎても子供がなかっ
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