うのない騒々しさと、困難を捲き起し、煽りたてて、しかもそれが出発以来蜒々と続いているのであった。
隊長は堪まらないと思った。憂欝でならなかった。
「一体、何のために、かような奥地にまで踏みこむのだ。」
彼は少しも司令部の作戦が腑に落ちなかった。彼も、また彼の本隊も戦争という戦争には、まだ一度も出喰わしてはいなかった。そして彼は、この出兵にまつわる熾烈な敵がい心を、不思議にも感じられなかった。何者にか、必要もないのに無理矢理に、この土煙のなかを引きずり廻わされているのだ! たったそれだけなのだ。彼はその理由を、軍人らしい単純さで政府の軟弱外交に持って行った。だが、隊長は複雑に考えることの嫌いな、短気な性質だった。で、彼はそんな憂欝な思案に、やり切れないまどろしさを感じた。で、またしても話題を「その女」に陥し込んで行った。
「どうだ。高村、その女はまだいるのか」
「は、いますとも。是非ひとつN市へ着けば御案内させて頂きますか」
彼は狡猾そうに、眼を細めて笑った。
「は、は、はあ。それには及ばんがね。」
隊長は額の汗をふき取った。「まったく面白い女じゃ。K将軍を誘惑するとは面白い話じゃて」
と、独語ちながら、にやりと笑った。高村もつり込まれて笑いかけたが、ふと起った蹄鉄の地面に喰い込むような強い響きに驚いて振返った。
「あッ!」
「何んじゃ?」
隊長も思わず振りむいた。と、そこへ土煙を蹴たてて、古田軍曹が馬を馳せて跳び込んで来た。顔も軍服も土煙にまびれて軍帽のふちから赭黒い汗がだらだらと流れ出ていた。彼は手綱をしぼると、挙手の敬礼をした。はずみを喰った乗馬が、青草のなかに前脚を踏み込んだ。
「隊長殿。苦力どもが坐り込んで、どうしようとも行進を肯じないのであります。彼奴等は石のように坐り込んだまま動かないのであります。はッ」
「何んだと? 動かない!」
隊長は忽ち顔色をかえてせき込んだ。
「は、彼等は日給の増額を要求しているのであります」
ふいに高村が叫んだ。
「うぬ、畜生!」
唸ったかと思うと、彼は手荒く手綱をひねって、馬をかえすと、土煙をあげて跳び出した。
「また、高村の野郎奴、やりおったな」
隊長は複雑な顔色で呟いた。「奴等は少しも利益を貪る以外には、奉公の観念がないのだ!」
ずっと、隊列は後に遅れていた。そして濛々とした土煙は、曠野の彼方に吹き靡いて、路上に輜重車が、丁度壊れかかった家具のように抛り出されていた。苦力達は青草の原に隊列を離れて寝そべり、あぐらを組んで、兵卒や苦力頭が声高く罵り怒鳴り、威嚇する銃剣や鞭に対して、執拗な沈黙と拒否の態度を固持していた。馬は思い思いに引具のついたままに、輜重車を青草のなかに引きずり込んで、草を頬張っていた。
「何んという奴等だ!」
隊長は憤慨した。こんなことは、日清日露の役にも経験したことがない。侮辱だ。わが陸軍の侮辱だ!
隊長は馬腹に拍車を蹴込んだ。
「軍曹! つづけ。豚ども! 嫌でも応でも動かして見せるぞ」
隊長と軍曹の姿は忽ち、土煙のなかに捲き込まれてしまった。土煙を蹴あげる鉄蹄ばかりが、白く斜な陽に光った。そして瞬間のうちに遠のいた。…………
三
怒った隊長は草のなかへ、いきなり馬を乗り入れた。脊丈に伸びた青草が、馬蹄に蹴散らかされ、踏み折られて、そこでも、かしこでも名状することのできない悲鳴叫喚が湧きあがり、吹きあがって、それが馬に追われて草をかき分けながら逃げ惑う苦力達によって四方に撒きちらかされた。
隊長は剣を抜き放っていた。
「馬鹿! 動くんだ。動け豚奴!」
隊長は羅刹《らせつ》のような憤激で、荒れ狂い怒りたけって、草むらに隠現した。馬の汗ばんだ腹には草の実がまびれていた。
「高村、高村! 動かん奴は撃て! 関まわぬから撃ち殺ろせ! 日本の軍隊を侮辱しとる」
隊長は怒鳴りまわった。が、彼は隊長からそう怒鳴りつけられない前から、逃げ惑う苦力の間に馬を突込んで、手あたり次第に、馬上から苦力の弁髪をめがけて殴ぐりつけ、はたきつけていたのだ。それのみか! そこでもかしこでも兵卒が振りかぶった銃床に、彼等は追いまくられていた。
この暴力の前には、彼等はどうしようもなかった。
「車に乗れ! 車につくんだ!」
隊長は馬を飛ばして、怒鳴りまくった。苦力達は渋々と輜重車に這いあがった。そして彼等は手綱をさばいて、頭の上で長い革鞭をふりまわしながら、八頭立ての馬にかわるがわる口笛とともに、革鞭の打撃を加えた。
隊列は整った。輜重車は一斉に、ゆるゆると凹凸の路に土煙を捲きながら、再び軋み始めた。
「態《ざま》を見ろ! 貴様等がいくら意地張ろうとも、どうにもなるもんじゃないのだ。」
隊長は埃と汗まびれの顔をやけに拭った。そして再び
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