に内在的なものとされるに到つた。キリスト教的哲學においてはイデアは第一に神の内容として表象される。ルネサンス時代の新プラトン主義者たちは、ストアの模範に倣つて、この根源的な認識即ちイデアは精神に本性上屬するものであつて、誕生と共に神からそれに賦與されてゐるものであると考へた。デカルト及びその學派においてこの思想はいはゆる生具觀念(ideae innatae)の思想として發展させられたのである。デカルトは觀念に三つの種類を區別した。一、生具觀念、二、外來觀念(ideae adventitiae)、三、虚構觀念(ideae factae)。第一のものは我々の意識そのものの本質から發し、そのうちに座をもつてそれと離れ得ぬものである。第二のものは、私がいま音を聞き、太陽を見、火の熱を感ずるとき、外部から私の心のうちに生ずる觀念である。第三のものは我々の氣隨に從つて作られる觀念である。ギリシア神話における海のニンフたるセイレーネスの如きはこれである。デカルトは眞理(veritas)の觀念そのものを、物(res)及び意識(cogitatio)の觀念と共に、生具觀念のなかに數へてゐる。そしてデカルト
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