中には現實の血が流れてゐない。單なる思惟活動としての主觀は、表象感情意志の作用の悉くを自己の契機として含む現實的な、全體的な生によつて置き換へられなければならぬ。學問の原理は生そのもののうちに横たはつてゐる。この意味でディルタイは彼の認識論は自省(Selbstbesinnung)の立場に立つものであるといつてゐる。彼はこのやうな思想にもとづいて特に歴史の問題を解かうとした。歴史は彼によると生または精神生活の表現にほかならぬ。從つてフンボルトのいつたやうに、人間歴史においてはたらいてゐる一切のものは人間の内面においてもはたらいてゐる。それ故にまた精神生活に關する研究即ち心理學は、あらゆる歴史科學にとつて基礎でなければならない。かくの如き心理學はもとより自然科學的な心理學であることができぬ。自然科學的心理學は説明的或ひは構成的心理學(〔erkla:rende oder konstruktive Psychologie〕)として特性附けられる。それは精神現象を一義的に規定された要素の一定數によつて因果關係に從屬させようとする。例へば、一切の精神現象を感覺及び感情といふ二つの級の要素をもつて構
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