成することによつて因果的に説明しようとするが如きはそれである。かやうな心理學に對してディルタイは記述的竝びに分析的心理學(beschreibende und zergliedernde Psychologie)を打ち樹てようとした。このものの目標は精神生活の構造聯關である。この學問はそれ自身において基礎附けられてゐる。自然現象においては聯關は後から與へられるものであるに反して、精神生活においては聯關そのものが根源的に、第一次的に與へられてゐる。ここでは構造が直接に與へられてゐるのであるから、この領域の分析と記述を仕事とする心理學は動かし難い、疑ふことのできぬ基礎をもつてゐる。そこに自然認識と心理學的認識とにおける方法上の根本的な差異の根柢が存するであらう。前者の方法が説明(〔Erkla:ren〕)といふ構成的なものであるに反して、後者の方法はむしろ分析的な理解(Verstehen)の方法である。
マルクス主義の認識論もまた一見プラグマティズムであるかのやうである。哲學者は世界を種々に解釋しただけだ、世界を變革することが問題であらうに、といつたマルクスは、その認識理論において實踐の要素
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