にいつたやうに、リッケルトは認識の對象を價値であると看做した。カントにおいては認識の對象はどこまでも經驗であり、從つて存在であつた。しかるにリッケルトは存在の概念を全くぬきにして認識の對象を規定する。カントのいふ認識の對象性は、一方そして根源的には、認識は存在としての對象に關係するといふことを、そして他方その論理的意味として認識の普遍性と必然性とを意味した。從つてそれは單に論理的な意味のものでなく、却つて存在論的な(ontologisch)、むしろ論理的・存在論的な(logisch−ontologisch)意味のものであつた。カントが自己の哲學的立場を名附けたところの先驗哲學(transzendentale Philosophie)といふ語は、根源的にはギリシア語の ontologia(存在論)のラテン語譯なる philosophia transcendentalis と關係してゐる。しかるにリッケルトは對象性といふものを全く論理的な意味に解する。そして主觀の概念についても同じことが行はれる。リッケルトは主觀の概念を三樣に區別してゐる。これに客觀の三樣の概念が相應する。第一に、我々は普
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