の統一である。知的直觀は人間のものではなく、ただ神のものである。もとより感性と悟性とは人間において分れてゐるにせよ、さきに示されたやうに、兩者はここでも互に他を指し示し合ふことによつて、その隱された共通の根源を暗示してゐる。かやうにしてカントにとつても、既にプラトンやデカルトなどについて述べておいた如く、人間は一個の中間的存在である。人間は叡智的なものと感性的なものとの中間者である。ただカントにおいては神は深く内面化されてゐる。人間を神そのものの位置にまで進めたのは、或ひは神そのものを自我として、絶對的自我として敢て把握するに至つたのは、フィヒテやヘーゲルの哲學であつた。かくて彼等においては、カントのばあひ人間的認識の限界の外におかれた物自體はもはや解消されてしまふことができた。彼等の哲學は、一言でいふと、知的直觀乃至直觀的悟性の哲學である。
 カントの哲學は現代に對して最も決定的な影響を與へた。新カント學派の有力な諸傾向はそれを主として認識論上の論理主義(Logizismus)の意味に徹底して解釋して自己の哲學を立てようとした。いまかかる哲學の歸結をひとつの例をもつて示しておかう。前
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