ものは現實のうちにあり、知覺にとつて現にそこに在るといふ大いなる原理が横たはつてゐる。この原理は抽象的な反省が自慢にする當爲(Sollen)の思想に對立する。この態度においては、眞なるものは現實的なものであり、從つて眞理は第一次的には存在に附けられる名である。故にそこでは追考(Nachdenken)によつて「眞理は認識され」、對象の眞に在るところのものが意識の前にもたらされると信じられてゐる。かやうにして自然的な態度は思辨的な眞理の概念を含むのであつて、いはゆる模寫説の立場に立つものではない。
プラトンは知識(〔episte_me_〕)と意見(doxa)とを對立させた人として知られてゐる。このプラトンの認識理論も近代の認識論によつて模寫説のひとつと見られてゐる。しかしながら、たとひプラトンが認識の作用を模寫的と考へたにしても、彼にとつてはどのやうな存在の模寫でもが知識の意味をもつてゐたのではなく、ただイデアの、言ひ換へると、眞に存在するものの模寫のみが知識であつたのである。我々の感性的表象も或る意味では存在を模寫するであらう。けれどもこの場合存在といはれるものは眞に存在するものでなく
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