、生成し消滅するところのものである。かくの如きものの模寫は、プラトンによると、知識ではなく、意見であるに過ぎない。ただ眞に存在するもの即ちイデアについてのみ眞の知識は可能である。このやうにプラトンは世界を、イデアの世界とゲネシス(生成)の世界との二つに分ち(いはゆる二世界説 Zweiweltentheorie)、知識と意見とを兩者にそれぞれ一義的に屬せしめ、更に人間における二つの活動、理性と感性とをまたこれらのものにそれぞれ一義的に屬せしめた。このやうに三つのものの間に一義的な歸屬關係が結ばれてゐるといふことは注目すべきことであつて、そこから我々は彼の認識理論の意味を學び取らなければならぬ。そこに我々は、等しきものは等しきものによつて知られるといふあの尊敬すべき原理がはたらいてゐるのを認めることができる。天才を知る者は天才のみである、とひとは屡々いつてゐる。ヘーゲルもいつた、侍僕にとつてはなんらの英雄も存しないといふのはよく知られた諺である、私はこの諺に次のやうに附け加へる、けれどもそれは此の者がなんら英雄でないためでなく、彼の者が侍僕である故である、と。恰もそのやうに、人間精神の諸活
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