性が認められるならば、如何なる意識の作用にも必ず對象が含まれてゐる。ノエシスとノエマとはひとつの意識においてかやうな主觀的側面と客觀的側面とを構成する。如何なる意識についてもつねにこの二つの側面が見出され、この二つのものはつねに相關的な關係を保つてゐる。このやうな相關性は意識のノエシス・ノエマ的構造の第一の原則である。その第二の原則とも見らるべきものは、それと關聯して、ノエマ的側面のどのやうな低度の變化にも必ずノエシス的側面において一々これに照應する要素が認められるといふことである。
 我々はフッサールの現象學においてあの生具觀念の問題が巧妙に解決されてゐるのを見るであらう。ここに模寫説的な考へ方の本來の意圖が、模寫説に陷ることなしに顯はにされるに到つたと見ることもできるであらう。この場合次のことが注意されねばならない。第一、そこでは眞理の基準は明證(Evidenz)に求められる。デカルトが既にこの道をとつてゐる。彼は明晰にして判明なる知覺(clara et distincta perceptio)をもつて眞理の標準とした。明晰とは精神にとつて直觀的に現前するもの、判明とはそれ自身にお
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