ルはこのやうな思想を承けて純粹意識のノエシス・ノエマ的構造を明かにしようとした。これは何をいふのであらうか。我々はすでにフッサールが現象學的還元を行ふために先づ自然的な態度を排去することを述べた。しかるに彼においてはこのやうな排去は同時に積極的なものに對する準備の意味をもつてゐる。このものは本質化作用(Ideation)である。これは本質の直觀であり、本質の直接的で具體的な把捉を意味してゐる。本質は個物の中にあつてしかもこれを超越する。事實は本質化作用によつてその本質または形相(Eidos)にまで還元され、ここにフッサールのいはゆる本質的還元或ひは形相學的還元(eidetische Reduktion)が行はれる。しかるに本質は一種の超越的なものであるから、更に現象學的或ひは先驗的還元によつて内在的なものとされねばならない純粹意識の領域はかやうな二重の還元によつて得られるものである。それはイデアの純粹内在の世界である。フッサールはプラトン以來イデアと結び附いてゐるヌース(理性的直觀)の語をとつて、純粹意識をノエシス・ノエマ的構造のものとして規定した。ブレンターノのいふやうに、意識の志向
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