の問題に關する議論は、ともかく面白いことではあるが、事は思辨に屬するから、我々のなすべきことでない。」認識論が認識の問題を從來の形而上學の問題から離れて研究しようとしてゐることはこれらの言葉によつて明瞭であらう。そしてまたそこに認識論そのものの問題がロックによつて規定されてゐる。それは就中、一、認識の起原の問題、二、認識の確實性、從つて妥當性の問題、三、認識の範圍、從つて限界の問題である。これらの問題はそれ以來つねに認識論の固有な問題としてとどまつてゐる。そしてその研究の結果において一つのことはいはば既に豫め定められてゐた。我々はそれを認識論の先取的結論とも呼ぶことができよう。かかる結論といふのは形而上學の不可能といふことである。認識論はこの結論を先取する。即ち逆説的にいへば、認識論における認識の批判的研究によつて初めて形而上學の不可能が證明されるやうになつたのではなく、むしろ形而上學の不可能が他のところで、特に自然科學において、明かになつたために、認識の批判的研究としての認識論、單に認識の理論でなく含蓄ある意味における認識論、は初めて可能になつたのである。このやうにして認識の限界の問題は認識論の成立にあたつて重要な意味をもつてゐたのである。
認識論にとつて非形而上學的或ひは反形而上學的結論は先取的である。そこでカント以後の哲學、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのいはゆるドイツ浪漫主義の哲學において再び形而上學的傾向が勃興して來たとき、固有な意味で認識論と呼ばれるものは姿を消してしまつた。これらの哲學において認識の問題が論じられなかつたといふのではなく、いな、そこには極めてすぐれた認識の理論が含まれてゐるのであるけれども、認識論といふものは存在しなかつたのである。なぜならそこでは認識の理論は實在の理論と再び密接な聯關において述べられたからである。ヘーゲルにおいて最も雄大な體系に組織された形而上學は、彼の死と共に瓦解し始める。そしてこのとき現はれた形而上學の批判者のうち最も有力なものはまた自然科學であつたのである。かくして再び認識論は擡頭して來た。認識の問題が實在の問題から離れて論ぜられることになつたからである。認識論が形而上學の不可能を證明すべきものとして要求されることになつたのである。
自然科學と認識論とのこのやうな因縁を考へるならば、從來の認識論が主として
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