ばれた。何故に彼等によつて認識論といふ特殊な學問が初めて建設されたものの如くに見られるのであるか。一般的にいふと、それは彼等が認識の批判的研究を開始した人々であるからである。單に認識に關する理論ならばそれ以前にもないではなかつた。それは實にギリシア哲學以來のものである。しかし彼等以前の哲學における認識の理論はすべて十分に批判的でなかつた。それは獨斷論(Dogmatismus)であつたといはれる。獨斷論と批判的研究との相違は、ロック、ヒューム及びカントが認識の限界の問題を意識的に提出したといふところに、最も簡單に、最も明瞭に、現はれてゐるであらう。獨斷論は人間の認識は無限に可能であり、從つて實在そのものを認識し得るといふ立場である。それ故にこのやうな立場では、認識の理論が説かれるとしても、それは實在に關する理論即ち形而上學(Metaphysik)と結びついて説かれてゐるのがつねである。古代のプラトンの哲學、近世のライプニツの哲學などはそのよい例であらう。認識の理論が特に認識論といふ含蓄ある意味において成立するに到つたのは、形而上學に對する不信が一般的になつたことによるのである。近代の自然科學がかかる不信のために次第に道を開いた。經驗的科學として自然科學は次第に形而上學に反抗し、それから解放されることを求めた。このやうな自然科學の刺戟なくしては、認識の理論は特に認識論として現はれなかつたであらう。そこで認識論は近代の經驗的自然科學の影響のもとに生れたイギリスの經驗論(Empirismus)の哲學の内部において先づ成立した。それは非形而上學的なもしくは反形而上學的な啓蒙思想の産物と見られることができる。ここに認識の理論は實在についての理論から分れて、認識論といふ特殊な學問として獨立するやうになつた。ロックはいつてゐる、「我々の研究はそれ故に、我々の知識の起原、確實性及び範圍を研究し、それと共に信仰、意見及び承認などの根據竝びに程度等を研究する。この研究のために、心の物的條件は何であるかといふことには今は關與しない。また心の本質が何であるかといふことにも立ち入らないであらう。心の如何なる運動、或ひは肉體の如何なる變化が感官に如何なる感覺を生ぜしめるか、またそれが悟性に如何なる觀念を生ぜしめるか。さては觀念は全部物質なるものに依存してゐるか、それともただ一部分であるか。これら
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