技術と云うことができぬ。読書にとって習慣が重要であるというのも、読書が技術であることを意味している。技術は習慣的になることによって身につくのであり、習慣的になっていない技術は技術の意義を有しないであろう。そのことは固より読書にとって一般的規則が存在しないことを意味するのではない、もし何等の一般的規則も存在しないとすれば、それが技術であることもできぬ筈である。
一般的規則の主体化を要求する点において、すでに手工業的技術は工場的生産の技術よりも遙かに大きいものがあるであろう。まして読書の如き精神的技術にあっては、一般的規則が各人の気質に従って個別化されることが愈々《いよいよ》必要になってくる。めいめいの気質を離れて読書の技術はないと云っても好いほどである。読書法は各人において性格的なものである。それ故に各人にとって自分に適した読書法を発明することが最も大切である。読書の技術においてひとはめいめい発明的でなければならぬ。もちろんこの場合においても発明の基礎には一般的規則がある。しかし自分の気質に適した読書法を自分で発明することに成功しない者は、永く、楽しく、また有益に読書することはできない
前へ
次へ
全25ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング