から離さないであろう。
他の場合においてと同様、読書にも勇気が必要である。ひとは先ず始めなければならぬ。我々はつねに読書に好都合な状態にあるのではない。読書に好都合な状態ができてから読書しようと考えるならば、遂に読書しないで終るであろう。ひとたび読書し始めるならば、落着かない心も落着き、憂いも忘れられ、不運も心にかかることなく、すべて読書に好都合な状態が生ずるであろう。いやいやながら始めて、やがて面白くなってやめられなくなる場合が多い。先ず読書することから読書に適した気分が出てくる。ひとたび読書の習慣を得れば、習慣があらゆる情念を鎮めてくれる。落着いた大学生といわれる者はたいてい読書の習慣を有するものである。
二
読書は一種の技術である。すべての技術には一般的規則があり、これを知っていることが肝要である。読書法についても古来いろいろ書かれてきた。しかし技術は一般的理論の単なる応用に過ぎぬものではない。技術においては一般的理論が主体化されねばならず、主体化されるということは個別化されるということである。これがその技術を身につけることであって、身についていない技術は
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