ことに直ちに同意しないことを教えた」。正しく読むことは自分の見識に従って読むことである。
 正しく読もうというには先ずその本を自分で所有するようにしなければならぬ。借りた本や図書館の本からひとは何等根本的なものを学ぶことができぬ。高価な大部の全集とか辞典のようなものは図書館によるのほかないにしても、図書館は普通はただ一寸《ちょっと》見たいもの、その時の調べ物にだけ必要なもの、多数の専門文献のために利用されるのであって、一般的教養に欠くことのできぬもの、専門書にしても基礎的なものはなるべく自分で所有するようにするが好い。しかしただ手当り次第に本を買うことは避けねばならず、本を買うにも研究が必要であり、自分の個性に基いた選択が必要である。その人の文庫を見れば、その人がどのような人であるかが分る。ただ沢山持っているというだけでは何にもならぬ。自分に役立つ本を揃《そろ》えることが必要である。ただ善い本を揃えるというのでも足りない、すべての善い本が自分に適した本であるのではない。各人は自分に適した読書法を見出さねばならぬように、自分自身の個性のある文庫を備えるようにしなければならぬ。何を読むべき
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