かについて、ひとは本に対する或る感覚を養うことが大切である。古本屋は自分の立場からであるにしても自分の決して読まない本に対して特殊な価値の感覚を有している。一つの本を見たとき読書家にも何かそれに類似の感覚がなければならぬ、さもなければ彼は読書において真に発見的であることができぬ。しかも本に対するこの感覚は本に親しむことによって得られるのである。
正しく読むためには緩やかに読まねばならぬ。決して急いではならない。その本から学ぶためにも、その本を批評するためにも、その本を楽しむためにも、緩やかに読むことが大切である。然るに緩やかに読むということは今日の人には次第に稀《まれ》な習慣である。生活が忙しくなり、書物の出版が多くなった今日においては、新聞や雑誌、映画やラジオなどの影響が深くなった今日においては、その習慣を得ることは困難になっている。自分で写本して読んだ昔の人には緩やかに読むという善い習慣があった。しかし今日においてもこの習慣を養うことは必要であり、特に学生の時代に努力されねばならぬ。勿論すべての本を緩やかに読まねばならぬというのではない。或る本はむしろ走り読みするのが好く、また或
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