善い本を読まねばならぬことは明かであるにしても、何が善い本であるかを見分けることは容易でない。古典といわれるものは善い本であるに相違ないが、その古典も多数であって選択が必要であり、殊に新刊書の場合においては選択は愈々《いよいよ》困難である。自分ですべての本に当ってみることは不可能であるとすれば、読書の指針として他人の挙げた目録とか新刊紹介とかに頼らねばならず、すでに定評のあるものを読むようにしなければならぬ。しかしながら定評とか他人の意見とかにばかり頼るということは危険である。読書においてもひとは自主的でなければならず、発見的であることが大切である。各人は自分に適した読書法を見出さねばならぬように自分に適した本を見出すことに努めなければならぬ。単に自分に媚《こ》びるというのでなくて、自分に役立ち、自分を高めてくれるような本を読むようにしなければならぬ。各々の人間には個性があるのであるから、一人の人間に適する本がすべて他の人間にも適するというわけではない。読書においても個性は尊重されねばならぬ。一般に善い本といわれるものの中でも自分に適したものとそうでないものとが自分の個性によって決って
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