。認識における思惟の活動は無制約でなく、直観に制約されている。直観に制約されるというのは存在に制約されることであるとすれば、直観には物を写すという意味がなければならぬであろう。模写説においては直観が、感覚の如きもの、もしくは何等かの知的な直観が、重んぜられるのがつねである。デカルトは知覚に、感官による知覚と知性からの知覚とを区別したが、経験論的ないし実証論的立場における模写説は前者を、合理論的立場におけるそれは後者を、認識の根柢においているといえるであろう。
模写説は、認識はつねに客観に制約されると考える点で、真理を含んでいる。客観に全く制約されない認識というものはない。しかるに物を写すには一定の条件が必要である。我々は光の中において初めて物を写し得ると考えられるであろう。いわゆる「光の形而上学」は古くから意識的に或いは無意識的に認識理論の基礎となっている。プラトンは善のイデアを太陽と比較し、それは認識される対象に真理を賦与し、認識する主観に認識能力を賦与すると考えた。光の形而上学はキリスト教の影響のもとに発展し、認識は神の光に照明されることであるという思想となったが、かような超越的
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