そこに」に傍点]あるものである。そこにあるとは世界においてあるということであり、世界はさしあたり環境を意味している。しかし次に現実的なものとは働くものでなければならぬ。働かないものは現実性にあるとはいわれず、ただ可能性にあるといわれるのである。働くということは関係に立つということである。現実的なものはすぐれた意味においてある[#「ある」に傍点]といわれるのであるが、「ある」とは、ロッツェがいったように、「関係に立つ」ということであり、関係に立つとは働くということである。ある[#「ある」に傍点]とは知覚されることであると考えられるとすれば、知覚されるということもまたかような関係の一つに過ぎない。しかるに物と物とが現実的に関係するためには一つの場所になければならぬ。人間は世界の中にいて、そこにある他の無数の多くのものと関係に立っている。
 人間と環境の関係は普通に主観と客観の関係と呼ばれ、私は主観であって、環境は客観である。主観とは作用するもの、客観とはこれに対してあるもの即ち対象を意味する。主観と客観は、主観なくして客観なく、客観なくして主観なく、相互に予想し合い、相関的であるといわれて
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