のあらゆる行為が形成的であるというのみでない、人間は環境から作られるという場合、自然の作用も、社会の作用も、形成的であるといわねばならぬ。もとより我々は単に環境から作用されるのではない。逆に我々は環境に作用するのである。環境が我々に働きかけるのは我々が環境に働きかけるのに依るということもできる。自己はどこまでも自己から自己を形成してゆくのであって、そうでなければ自己はない。しかし自己は環境において形成されるのである。生命とは自己の周囲との関係を育てあげる力である。一方どこまでも環境から限定されながら同時に他方どこまでも自己が自己を限定するという即ち自律的であるというところに生命はある。「生あるものは外的影響の極めて多様な条件に自己を適応させ、しかも一定の獲得された決定的な独立性を失わないという天賦を有する」、とゲーテも書いている。我々は環境から作用され逆に環境に作用する、環境に働きかけることは同時に自己に働きかけることであり、環境を形成してゆくことによって自己は形成される。環境の形成を離れて自己の形成を考えることはできぬ。
人間は現実的存在であるというが、現実的なものとはそこに[#「
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