理論と実践、観念と行動を全く分離することはできぬ。科学が価値判断を排するのは主観的なものの混入を防ぐためであるが、哲学もまた、価値を問題にするにしても、単に主観的であることは許されない。もちろん、純粋に客観的な立場においては評価はなく、物の意味も理解されないであろう。けれども意味とか目的とか価値とかも、単に主観的なものであり得ず、そしてそれが現象のうちに客観的に現われる限り、価値も科学の対象となるのである。道徳学、芸術学、宗教学等の存在はそのことを示している。従って哲学が価値を問題にするという場合、その取扱いは科学におけるそれとは異り、しかも価値そのものの本質が哲学的な見方を要求しており、更にこれが単に主観的な見方でないということがなければならぬ。そしてその点の認識が哲学にとって重要なのである。
 それでは、知識、存在、価値等、すべての問題について、科学と哲学とはその見方においていかに相違するのであろうか。科学的な見方のほかに、およそ何故に哲学的な見方が要求されるのであろうか。
 科学は物を客観的に、対象的に見てゆく。科学の求めるのは客観的な知識或いは対象的な認識である。しかるに物を知
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