る。常識がなお特殊的な知識であるに反し、科学は一般的なものについての知識、法則の知識である。
 第三に常識は行為的或いは実践的立場における知識であった。しかるに科学は理論的、従って観想的であることを特徴としている。科学ももと実践的要求から生れたものであるにしても、一旦これを否定して飽くまでも理論的になるところに科学は成立する。そこには生活における有用性を離れて、知識のために知識を求め、真理のために真理を究める純粋な理論的態度がなければならぬ。ただ実用の見地或いは政策的立場に立つ限り、科学の求める客観的知識に達し難い。科学は自由な研究を必要とするのであって、常識において直接に結び付いている行為の立場は、科学においては一旦否定的に分離されねばならぬ。科学は何よりも理論的知識、即ち論理的に組織された一般的な知識である。
 このように科学と常識とは異っている。もとより常識は科学化されねばならないし、また科学は常識化されねばならない。かくておよそ常識が科学的になるところに文化の進歩がある。けれども常識がいかに科学的になるにしても、常識と科学との間には性質上の差異がある。なぜなら両者の差異は単に知
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