のうちには自然が流れ込んでいる。経験から習慣が生じてくる。経験は試みと過ちによる適応であり、これは習慣形成の一つの主要な形式である。既にいった如く経験は未来との結合を含むが、それはまた過去との結合を含み、むしろこのために経験といわれるのである。経験は我々の積んでゆくものであり、積まれたものが経験である。そこから習慣が生ずるのである。習慣的になることは行為が自然的になること、惰性的になること、従って受動的になることであるが、同時に行為はその自発性において高まる。我々の行為が習慣的になることが全くないとしたならば、我々の生活はいかに不自由であろう。習慣は受動性であると同時に自発性である。習慣は有機的生命の受動性のうちに浸透してそこに樹てられる自発性の発展である。
ところで経験は働くことであると同時に知ることである。働くことによって我々は知るのである。経験は試みと過ちの過程において或る一般化と或る綜合とを行う。種々の知覚は記号となり、また統一にもたらされる。その際、習慣が作用する。習慣は知性のうちにも入っている。経験論の哲学もヒュームにおいて見られるように習慣に重要な意味を認めたけれども、
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