為は形をもつことができぬ。しかし行為の自律性を環境から離れて単に主体から考えることは抽象的である。形は主観的なものと客観的なものとの統一である。主体と環境とは互に他を新たに作り、両者の関係も新たに作られ、行為の成全作用は創造的である。環境に対する主体の適応は発明的であって、行為の形も無意識的にせよ発明に属している。それは技術的な形として機能的意味をもっている。それは機能を組織したものであり、機能を表現するものである。
しかるに経験において行為の形が作られる場合、そこに習慣が作用するであろう。習慣は均衡の形式であり、主体と環境との間における持続的な適応として生ずる。行為が習慣的になることによって行為の形は作られる。習慣は発動機械の、行為の図式の構成である。我々の行為が習慣的になるのは、主体が身体的なものであって、自然から抽象された精神の如きものでないということに依るのである。習慣は「第二の自然」と呼ばれているが、それは機械的必然的なものではない。習慣も行為的なものであり、習慣を破ることができるものであって習慣を作ることができる。その自然のうちには自由が喰い入っており、しかしまたその自由
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