観的実証的なものを自己に媒介することによって真に論理的になるのである。論理の運動は物の本質の運動とならねばならぬ。現実を離れて論理はなく、論理は現実のうちにあるのである。

      四 経験

 環境について知識を得る日常の仕方は経験である。我々は先ず経験によって知るのであって、経験は知識の重要な源泉である。けれども経験を単に知識の問題と見ることは種々の誤解に導き易く、それによっては経験的知識の本性も完全に理解されないであろう。経験を唯一の基礎とすると称する経験論の哲学が、経験を心理的なもの、主観的なものと考えたのも、それに関聯している。知識の立場においては、経験の主体即ち知るものは心或いは意識であって、経験はそこに生じそこに現われるものと考えられるであろう。しかしながら現実においては、経験は何よりも主体と環境との行為的交渉として現われる。経験するとは自己が世界において物に出会うことであり、世界における一つの出来事である。経験は元来行為的なものである、経験によって知るというのも行為的に知ることである。経験するとは自己が環境から働きかけられることであって、経験において自己は受動的であ
前へ 次へ
全224ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング