の諸契機にほかならぬ。知性は構成されたものによって所与のものを超える力であるが、知性の機能に属する一般化の作用もかような性質のものである。思惟の技術は本質的に媒介的である。その一般化の作用によって作られる概念は、特殊をその根拠であるところの普遍に媒介することによって作られるのである。思惟の媒介的な本質は、概念から判断、判断から推理と進むに従って、次第に一層明瞭になってくる。知性の自律性は合理性として現われる、合理的とは思惟によって自律的に展開され得ることである。そして知性はカントの意味においてアルヒテクトニッシュである。カントに依ると、アルヒテクトニックとは「体系の技術」であり、知識は一つの理念のもとに、全体と部分の必然的な関係において、建築的な統一にもたらされることによって科学的となるのである。しかしながら存在と抽象的に対立して考えられる思惟の自律性は真の自律性でなく、客観を我が物とすることによって思惟は真に自律的になることができる。知性が技術的であるということも、本来、客観を主観に、主観を客観に媒介するということでなければならぬ。思惟は自己に対立するもの即ち経験に与えられたもの、客
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