的認識(教養の知識)、実証的・科学的認識(仕事の知識)は、知識の発達の三つの歴史的段階でなく、人間精神そのものの本質と共に与えられた持続的な三つの精神の態度であり、認識の形態であって、そのいかなる一つも、他に代置されることも他を代表することもできないと主張した。それらは認識する精神の三つの違った作用、違った目的、違った人間の型に属するのである。
まことに近代科学は知識を世俗化した。そしてそれに伴って哲学も世俗化された。そしてそれと共に知識の倫理はもはや問題でなくなったように見える。しかし知識の世俗化によって知識の倫理がなくなったのでない。その世俗化そのものが実は近代の初めにおける知識人の情熱であり、彼等の知識の倫理であったのである。しかるにすべてが世俗化してしまった後には、世俗化がひとつの倫理であったことが忘れられ、それと共に知識の倫理そのものも問題にされなくなったのである。科学はどこまでも客観的に認識してゆく。そのためには自己の主観的な観念や意図に束縛されないことが必要であり、そこに倫理的態度がなければならぬ。すべての研究者は良心的であることを要求されており、そこに知識の倫理がある
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