。知識を求める者には真理に対する熾烈な愛がなければならぬ。この愛は人生の幸福についての高い見方を必要とする。真理は個人にとって必ずしも有利なものでなく、人間を不幸にする場合さえ多いからである。そこでまた人間はしばしば真埋を蔽い隠そうとする。それ故に真理を知ろうとする者は真実でなければならぬ。そして哲学的認識における如く、単に客観的に捉えることのできぬもの、主体の自己開示に俟たねばならぬもの、かようなものの認識は特に倫理的でなければならぬであろう。
認識のあらゆる場合において我々はつねに良心的であることを要求されている。良心は人間の客観に対する関係でなく、主体に対する関係である。倫理は主体の主体に対する関係のうちにある。良心的でなければならぬということは知識の倫理にほかならない。カントは良心を人間における内的法廷の意識と称した。しかるに良心と呼ばれる根源的な、知的で道徳的な素質は、その仕事が人間の自己自身に対する仕事であるにも拘らず、彼はそれを或る他の人間の命令で行うものと見るように彼の理性によって強要されている。なぜならその仕事は法廷のそれであるが、良心によって訴えられている者と裁判
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