れの時代はそれぞれ絶対に独立なものとして非連続的であり、非連続的であると同時に連続的である。世界は多であって一である。それは歴史的にどこまでも動いてゆくと同時にどこまでも止まっている、動即静、静即動といわれるのである。一切のものは世界から作られ、世界を表現し、世界においてある。それらは多であって同時に一なるものとして表現的である。一切のものはそれぞれ独立でありながら互に他を指示している。表現的なものは多様の統一であり、一即多、多即一ということを原理としている。表現的なものは超越的意味をもっている。人間もまた世界の外にあるものでなく、世界の一物として世界においてある。認識というものも歴史的世界における歴史的物としての人間の表現作用の一つにほかならない。我々の行為は自己から起ると共に世界から起るのである。我々が自然を見る眼は自然が我々を見る眼である。それは表現的世界から喚《よ》び起される表現作用に属している。かようにして我々の認識は絶対性をもつことができるのである。もとより我々の知識に相対的なところがあることは争われない、しかし相対と抽象的に対立して考えられる絶対は真の絶対でなく、真の絶対
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