あると素樸に考える素樸実在論であり、かように考えることは独断であるといわれている。けれどもすでに論じたように、模写説は超越的真理概念をとり、客観が超越的なもの、我々から独立なものであることによって知識は成立すると考える点で、正しい動機を含んでいる。しかしそれは翻って、我々に対する客観の超越は我々における主体への超越によって可能になるということを考えない点で、独断的であるといわねばならぬ。
 普通に模写説は我々の心が鏡の如く物を写すと考えると理解されている。仮に我々の心が鏡の如きものであるとしても、この鏡の性質が問題であろう。鏡は一般に物を写し得る性質をもっているにしても、その鏡が曇っていたり、歪んでいたりすることもあり得る。もしそれが曇っているとすれば、或いは歪んでいるとすれば、そしてその歪みが個人々々で違っているとすれば、真理に達することはできない。そこで模写説においても、我々の心の性質を吟味することが必要になってくる。事実、ロックやヒュームは人間精神の本性について研究したのであって、かような批判的研究のために、認識論は彼等に始まるともいわれるのである。これに対し、我々の心の能力を吟味しないで、我々の心は無制限に認識し得るものと考えるのは、独断論と見られている。
 ところで我々の心は鏡の如きものに比することができぬ。我々の心は自覚的であるが、鏡はそうではない。我々の心は自己反省的である。しかるに鏡は、そこに映る影が果して物を正しく写しているかどうか、反省することがない。鏡が単に受動的或いは受容的であるに反し、認識の主体は能動的でなければならぬ。知ることは選択することである。認識は模写であるとしても、与えられた一切のものを模写することは不可能であり、たとい可能であるとしても無意味であろう。認識するとは、与えられたもののうち、本質的なものと非本質的なものとを区別し、選択することであって、これはすでに主体の能動性に属している。認識は模写であるという場合、物が我々に対して自己の本質的なものをつねに直接に現わしているということがなければならぬ。しかるにその保証は存在するであろうか。もし現象と本質とが直接に同じであるとすれば、一切の科学は不要であろう。認識するとはむしろ、我々の心が物の与えられた表象に働きかけ、これによって物の本質を顕わにするということでなければならない。言い換えると、我々の心が存在を模写するにしても、受動的な直観においてでなく、その加工によって生ずる思惟の生産物においてでなければならぬ。即ち摸写が与えられたものをただ受動的に写すことを意味する限り、模写説の成立する余地はない。我々がそれを摸写するといわれるものは、既に与えられているものでなければならぬ。しかるに知識において見ることは予見することである。見ることが予見することであるによって、知識は、本質的に未来に関係付けられている行為に役立つことができる。ところで予見されるものは未だ与えられていないものであるから、これを模写するとはいわれないであろう。かようにして認識が模写であるということは、認識の究極の意味に関わり、認識はその究極の意味において存在と一致しなければならぬということになるであろう。尤《もっと》もこの場合、模写ということは文字通りには考えられない。そこには思惟の加工があるのであるから。認識するとは加工することである。しかし思惟のいかなる加工物も、その究極の意味においては存在と一致することを要求されており、従って存在に制約されている限り、認識には模写的意味があるといい得るであろう。認識における思惟の活動は無制約でなく、直観に制約されている。直観に制約されるというのは存在に制約されることであるとすれば、直観には物を写すという意味がなければならぬであろう。模写説においては直観が、感覚の如きもの、もしくは何等かの知的な直観が、重んぜられるのがつねである。デカルトは知覚に、感官による知覚と知性からの知覚とを区別したが、経験論的ないし実証論的立場における模写説は前者を、合理論的立場におけるそれは後者を、認識の根柢においているといえるであろう。
 模写説は、認識はつねに客観に制約されると考える点で、真理を含んでいる。客観に全く制約されない認識というものはない。しかるに物を写すには一定の条件が必要である。我々は光の中において初めて物を写し得ると考えられるであろう。いわゆる「光の形而上学」は古くから意識的に或いは無意識的に認識理論の基礎となっている。プラトンは善のイデアを太陽と比較し、それは認識される対象に真理を賦与し、認識する主観に認識能力を賦与すると考えた。光の形而上学はキリスト教の影響のもとに発展し、認識は神の光に照明されることであるという思想となったが、かような超越的
前へ 次へ
全56ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング