求めるのは人生觀とか世界觀とかいつたもの、一般に思想である。「理論」に對して「思想」といふものが區別される。哲學には理論的要素と思想的要素とが含まれる。尤も二つの要素ははなればなれのものであるべきでなく、思想が飽くまでも理論化されるところに哲學があると云はれよう。最近の哲學は、いはゆる嚴密な科學としての哲學に對する要求が強く、思想的であるよりも理論的であることに努めてゐると見られる。そして恰もそこに、哲學においていきなり思想を求める人々が、今日、哲學はむつかしいと感ずる理由があるとも考へられる。從つて今日の哲學をばわかり易いと思はれるものにするためには、もつと豐富な思想的要素がそのうちに盛られること、一層正確に云へば、哲學がもつと豐富な思想を背景として、或ひは地盤として作られることが要求されてゐるとも云はれ得るであらう。實際、哲學において「思想」に對する要求は根源的なものであつて、思想的要素を除外して純粹な「理論」として哲學を打ち建てようといふ主張そのものが既にひとつの思想として、云ひ換へれば、ひとつの世界觀乃至人生觀として受取られるといふほどである。思想は哲學において飽く迄理論化され
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