は論理的訓練にも増して嚴しいものであるといふことである。哲學そのものが直觀であるかどうかは意見の別れるところであるが、いづれにしても直觀を輕んずるのは愚かなことであり、直觀を育てることは努力に値することである。
人生の問題から直接に哲學に入らうとする人々に先づ勸めたいのはフランスのモラリストの研究である。パスカル、モンテーニュなど、日本語で讀めるものも追々多くなつてゐる。私にとつて特にパスカルが啓示的であつた。彼等の人生論には獨特の實證性がある。科學の實證性とは異つてゐるが、また相通ずるものがある。この實證性に目を留めねばならぬ。それらの書物はやさしく讀めるからといつて、簡單に讀み捨ててはならない。難かしい言葉を使ふことが哲學であるかのやうに考へてゐる者があるとすれば、笑ふべきである。それらの書物は立ち停つて考へようとする人に多くのことを考へさせるであらう。多くのことを考へさせる本が善い本であり、これは用語の難易には關係しないことである。モンテーニュ、パスカルなどから哲學の本筋に來てデカルトに行くもよく、或ひはスピノザの『エティカ(倫理學)』に行くもよく、或ひはまたマキアヴェリの『君
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