に現代の科學として特に重要な意味をもつてゐるものに、社會科學、文化科學、精神科學、歴史科學等の名をもつて呼ばれるものがある。歴史的社會的實在が現代哲學の根本問題であるともいはれるのである。自然科學はガリレイ以來その基礎が定まつてゐるが、社會科學にはまだそのやうに定まつたものがなく、その基礎を明かにすることが現代の重要な課題であるともいはれるであらう。要するに學問においても、人生においてと同樣、自分を發見することが大事である。その自分は同時に時代のうちに發見されるものであることは云ふまでもない。
 哲學はもちろん科學と同じではない。しかし哲學は科學によつて媒介されねばならぬ。科學を萬能と考へるのではない。そのやうに考へる人には哲學は不要であらう。無條件に科學を信じてゐる者はすぐれた科學者になることもできないであらう。科學的知識を絶對的なもののやうに考へるのはむしろ素人のことであつて、眞の科學者は却つてつねに批判的であり、懷疑的でさへあるといはれるであらう。少くとも科學を疑ふとか、その限界を考へるとかいふところから哲學は出てくる。しかしながら懷疑といふのは、物の外にゐて、それを疑つてみたり
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