が混じてゐる。これらのこころは媚られることができるであらう。リアリズムの最も要求される日記や自叙伝においてほどまた実際にそれの困難なところはないからである。
三つの種類の人間或ひは人間の三つのこころに相応して文学の三つの現実の形態がある。第一のものには特にいはゆる軟文学が、第二のものにはいはゆる大衆文学が、第三のものには主としていはゆる心理小説が相応するともいはれよう。
日記や自叙伝の要求するのは完全なリアリズムである。それの精神は文学的精神でなく科学的精神であるとさへいつてよい。さういつたからとて、我々が例へば日記を書かうとするのは、あらゆる人間に具はつてゐる自己表現の欲求即ち芸術的欲求のおのずからなる現はれでないといふのではない。然し素人の文学的表現の好みほど危険なものはない。さういふ好みのうちには自己にこび、あまえ、もしくは自己をひけらかすこころがひそんでをり、或ひは容易に忍びこむものである。そこに要求されてゐるのは詩的精神でなく、散文的精神であるといつてよい。詩にリアリズムがないといふのでない。然し詩的であらうとするとき、装飾的になつたり、センチメンタリズムに陥つたりし易い
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