思うと、一方ではガンディなどが迎えられていた。また学生の間でも右翼と左翼との色彩がはっきり分れ、私どもでさえ外部からそれを見分けることができた。ハイデッゲル教授の哲学そのものもかような不安の一つの表現であると考えることができるであろう。教授の哲学はニーチェ、キェルケゴール、ヘルデルリンらの流行の雰囲気の中から生れたものであり、そこにそれが青年学生の間で非常な人気を集めた理由がある。レーヴィット氏もその時分デンマーク語を勉強して原典でキェルケゴールの研究を始めていた。ヤスペルスやマックス・シェーレルなどを読むことを私に勧めてくれたのも氏であった。氏はハイデッゲル教授と親しく、いわば教授の哲学の材料を材料のままでいろいろ見せてくれたのである。こういう教師というものは実に有難いものである。

      十三

 マールブルクはドイツの田舎の小さい大学町の一つの典型である。それは山の裾《すそ》から頂を開いて作られた町で、その裾にはラーン河が流れ、河の向うには丘が続き、森が開かれている。私はよくこの丘や森の中を散歩した。町にはほとんど観るものがなかった。劇場が一つあって、ときどき映画などを観せ
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