史哲学』という題でカントについて書いたので、この二人のものは比較的多く読んだといえるであろう。しかし何を特別に勉強したというほどのことはなく、ただ西田先生の後を追うていろいろの本を読んだというのが、大学時代三年間における私のおもな勉強であった。
かようにして読んだ本のうちでも何か深く影響されたものがあるとすれば、それは新カント派の哲学であった。しかしそれも、意識的にではなく、むしろ知らず識らずそういうことになっていたのである。ある時の哲学会の例会で、私どもの先輩であった土田杏村氏が話をされた後で、私は質問をした。何の問題であったか記憶していないが、土田氏と私との議論になってしまい、なかなか終りそうになかった。そこで土田氏が、会に出ていられた西田先生を顧みて「先生、どうですか」と尋ねると、先生は「君の考えは現象学のようなもので、三木の考えは新カント派のようなもので、どちらがよいか、むつかしい問題だ」という意味のことを答えられた。先生からそう言われて初めて私は自分の考えが新カント派的であることに気づいて、いつのまにか深くその影響を受けていたのにむしろ驚いたことである。
私がかように新カ
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