ーペンハウエルに傾倒していた。彼ばかりではない、その時代の青年がたいていそういう風であったのである。
日本における哲学書の出版に新しい時期を画した岩波の『哲学叢書』が出始めたのは、その頃のことである。私なども紀平正美氏の『認識論』とか宮本和吉氏の『哲学概論』とか、分らないながら幾度も読んだものである。速水先生の『論理学』は、学校における先生の講義の教科書であった。つまり私の哲学の勉強は岩波の哲学叢書と一緒に始まったのである。高等学校の時、その方面で私がいちばん多く読んだのは心理学と論理学との本であった。大学へ行ってから哲学を専攻する者は高等学校時代には論理と心理とをよく勉強しておかねばならぬと私どもの仲間で一般にいわれていたので、その本を特に読んだわけであるが、それはまた私の場合速水先生の感化によることでもあった。一高の先生で私が最も多く影響を受けたのは速水先生である。先生の『現代の心理学』という本は私の熱心に繙いたものの一つであり、非常によい本であったように記憶している。哲学を専攻する者は何でも原書で読む稽古をしておかねばならぬとまた私どもの仲間でいっていたが、その原書は、戦争のた
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