めにドイツのものが来なくなっており、主として英書を読まねばならなかった。そしてまた哲学はドイツに限るようにきかされていたので、英語のものを読むとすればしぜん心理や論理の本を読むということにもなったのである。当時の一高生はよく本郷から日本橋の丸善まで歩いて行ったものであるが、そうして買って読んだ本で、今も私の手許に残っていて懐しいものに、ジェームズの『心理学原理』、ミルの『論理学体系』などがある。しかしその時代は何といってもわが国の思想界ではドイツの学問が圧倒的であった。心理学の方面でもヴントの名が最も喧しかった。私も速水先生の訳されたヴントの小さい心理学を初め、須藤新吉氏のヴントの『心理学』などを読み、また古本屋でヴントの『心理学綱要』の原書を見つけてきて勉強した。哲学の方面でもその頃からヴィンデルバントを初め新カント派の哲学が次第に一般の流行になりつつあった。ある時、三並先生を柏木のお宅に訪ねたら、哲学をやるにはカントを研究しなければならず、カントを研究するにはコーヘンのカント論を読まねばならぬといって、マントルピースの上に置いてあったコーヘンの三つのカント書を見せて下さった。そのよ
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