君を見ると、あの頃毎日学校の図書館へ通っていた姿が眼に浮んでくることがある。
その時代私の読書における一つのエピソードは、塩谷温先生――その御尊父青山先生から私どもは学校で漢文を習った――のお宅に伺って『資治通鑑』を読むという小さな会に参加したことである。この会の中心は私より一級下の倉石武四郎君であった。倉石君は現在京大の支那学の教授であるが、先だって同君からその著書『支那語教育の理論と実際』という本をもらって、ふとこの読書会のことを思い出した。会員は倉石君のほか、松山高等学校にいる川畑思無邪君、東京の諸大学でインド哲学を講じている山本快竜君、そして私のクラスからは寺崎修一と私とが加わったように思う。私たちは一週一回、寮の夕食がすむと、小石川の塩谷先生のお宅まで歩いて行った。本読みがすむと、いつも焼芋が出て雑談になったのを覚えている。あの頃から倉石君は実によく漢文を読むことができた。おとなしいうちにも何か毅然としたものをもっている人であったが、その倉石君が近年漢文を返り点によって日本読みにすることに反対してそのまま支那音で読み下すべきことを主張し、支那語教育のためのレコードを作ったり
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