とかいうものは「文化」には属しないで「文明」に属するものと見られて軽んじられた。言い換えると、大正時代における教養思想は明治時代における啓蒙思想――福沢諭吉などによって代表されている――に対する反動として起ったものである。それがわが国において「教養」という言葉のもっている歴史的含蓄であって、言葉というものが歴史を脱することのできないものである限り、今日においても注意すべき事実である。私はその教養思想が擡頭してきた時代に高等学校を経過したのであるが、それは非政治的で現実の問題に対して関心をもたなかっただけ、それだけ多く古典というものを重んじるという長所をもっていた。日本における教養思想に大きな影響を与えたのはケーベル博士であって、その有力な主張者たちは皆ケーベル博士の弟子であった。かようにして私もまた一高時代の後半において比較的多く古典を読んだのである。ダンテの『神曲』とかゲーテの『ファウスト』など、むつかしくて分らないところも多かったがともかく一生懸命に読んだものである。『ファウスト』はドイツ語の時間に今は亡くなられた三並良先生から教わったこともある。その試験にドイツ文でファウスト論を
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