二二年ヨーロッパへ行った時である。これは現在の戦争とは全く様子が違っていることである。近代戦争というものはリアリスティックになっている。近代戦争のこの性質はあらゆる人をその中に引き入れて何人も圏外に立つことを許さないというところに率直に現われる。その意味においてそれは全くメカニカルな必然性をもっている。これに反して以前は戦争にしても有機的なものであった、あるいはロマンティックであった。もちろん現在も戦争には何らかロマンティシズムが必要であろう。それにもかかわらず近代戦争は本質的にリアリスティックなものである。近代戦争のこの性質について深く考えてみるのは極めて重要なことである。
 あの第一次世界戦争という大事件に会いながら、私たちは政治に対しても全く無関心であった。あるいは無関心であることができた。やがて私どもを支配したのはかえってあの「教養」という思想である。そしてそれは政治というものを軽蔑して文化を重んじるという、反政治的ないし非政治的傾向をもっていた、それは文化主義的な考え方のものであった。あの「教養」という思想は文学的・哲学的であった。それは文学や哲学を特別に重んじ、科学とか技術
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