て、私もその愛読者の一人となったが、それが後に岩波の『思想』に変ったのである。
 高等学校の最初の二年間は私にとっては内省的な彷徨時代であった。二年生になる時学校の規則で文学を志望するか哲学を志望するかを決定しなければならなかったので、私は哲学と書いて出しはしたが、自分の心ではまだいずれとも決定しかねていた。私の気持がまとまって、はっきり哲学をやることに決めたのは三年生の時で、その頃から私の読書の傾向も変ってきた。

      七

 考えてみると、私の高等学校時代はこの前の世界戦争の時であった。「考えてみると」と私はいう、この場合この表現が正確なのである。というのはつまり、私は感受性の最も鋭い青年期にあのような大事件に会いながら、考えてみないとすぐには思い出せないほど戦争から直接に精神的影響を受けることが少なくてすんだのである。単に私のみでなく多くの青年にとってそうではなかったのかと思う。そう考えると、日露戦争の時、戦争を知らないで研究室の生活を続けていた大学者があるという嘘のようなことも、十分あり得ることであったろうと思われる。私があの世界戦争を直接に経験したのはむしろその後一九
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