る。その人の作つたものが蘇りまた生きながらへるとすれば、その人自身が蘇りまた生きながらへる力をそれ以上にもつてゐないといふことが考へられ得るであらうか。もし我々がプラトンの不死よりも彼の作品の不滅を望むとすれば、それは我々の心の虚榮を語るものでなければならぬ。しんじつ我々は、我々の愛する者について、その者の永生より以上にその者の爲したことが永續的であることを願ふであらうか。
 原因は少くとも結果に等しいといふのは自然の法則であつて、歴史においては逆に結果はつねに原因よりも大きいといふのが法則であるといはれるかも知れない。もしさうであるとすれば、それは歴史のより優越な原因が我々自身でなくて我々を超えたものであるといふことを意味するのでなければならぬ。この我々を超えたものは、歴史において作られたものが蘇りまた生きながらへることを欲して、それを作るに與つて原因であつたものが蘇りまた生きながらへることは決して欲しないと考へられ得るであらうか。もしまた我々自身が過去のものを蘇らせ、生きながらへさせるのであるとすれば、かやうな力をもつてゐる我々にとつて作られたものよりも作るものを蘇らせ、生きながら
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