れるやうな、その情念の力はどこにあるのであるか。それは單に情念のうちにあるのでなく、むしろ情念が習慣になつてゐるところにある。私が恐れるのは彼の憎みではなくて、私に對する彼の憎みが習慣になつてゐるといふことである。習慣に形作られるのでなければ情念も力がない。一つの習慣は他の習慣を作ることによつて破られる。習慣を支配し得るのは理性でなくて他の習慣である。言ひ換へると、一つの形を眞に克服し得るものは他の形である。流行も習慣になるまでは不安定な力に過ぎない。情念はそれ自身としては形の具はらぬものであり、習慣に對する情念の無力もそこにある。一つの情念が他の情念を支配し得るのも、知性が加はることによつて作られる秩序の力に基いてゐる。情念は形の具はらぬものとして自然的なものと考へられる。情念に對する形の支配は自然に對する精神の支配である。習慣も形として單なる自然でなく、すでに精神である。

 形を單に空間的な形としてしか、從つて物質的な形としてしか表象し得ないといふのは近代の機械的な悟性のことである。むしろ精神こそ形である。ギリシアの古典的哲學は物質は無限定な質料であつて精神は形相であると考へた。
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