的なものであるためである。流行のこの力は、それが習慣と相反する方向のものであるといふことに基いてゐる。流行は最大の適應力を有するといはれる人間に特徴的である。習慣が自然的なものであるのに對して、流行は知性的なものであるとさへ考へることができるであらう。
 習慣は自己による自己の模倣として自己の自己に對する適應であると同時に、自己の環境に對する適應である。流行は環境の模倣として自己の環境に對する適應から生ずるものであるが、流行にも自己が自己を模倣するといふところがあるであらう。我々が流行に從ふのは、何か自己に媚びるものがあるからである。ただ、流行が形としては不安定であり、流行には形がないともいはれるのに對して、習慣は形として安定してゐる。しかるに習慣が形として安定してゐるといふことは、習慣が技術であることを意味してゐる。その形は技術的に出來てくるものである。ところが流行にはかやうな技術的な能動性が缺けてゐる。

 一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといはれる。しかし實をいふと、習慣こそ情念を支配し得るものである。一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといは
前へ 次へ
全146ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング