すれば、死の恐怖は浪漫的であり、死の平和は古典的であるといふこともできるであらう。死の平和が感じられるに至つて初めて生のリアリズムに達するともいはれるであらう。支那人が世界のいづれの國民よりもリアリストであると考へられることにも意味がある。われ未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らん、といつた孔子の言葉も、この支那人の性格を背景にして實感がにじみ出てくるやうである。パスカルはモンテーニュが死に對して無關心であるといつて非難したが、私はモンテーニュを讀んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。最上の死は豫め考へられなかつた死である、と彼は書いてゐる。支那人とフランス人との類似はともかく注目すべきことである。
死について考へることが無意味であるなどと私はいはうとしてゐるのではない。死は觀念である。そして觀念らしい觀念は死の立場から生れる、現實或ひは生に對立して思想といはれるやうな思想はその立場から出てくるのである。生と死とを鋭い對立において見たヨーロッパ文化の地盤――そこにはキリスト教の深い影響がある――において思想といふものが作られた。これに對して東洋には思想がないといはれる
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