の何よりもよく示すところである。

 死は觀念である、と私は書いた。これに對して生は何であるか。生とは想像である、と私はいはうと思ふ。いかに生の現實性を主張する者も、飜つてこれを死と比較するとき、生がいかに想像的なものであるかを理解するであらう。想像的なものは非現實的であるのでなく、却つて現實的なものは想像的なものであるのである。現實は私のいふ構想力(想像力)の論理に從つてゐる。人生は夢であるといふことを誰が感じなかつたであらうか。それは單なる比喩ではない、それは實感である。この實感の根據が明かにされねばならぬ、言ひ換へると、夢或ひは空想的なものの現實性が示されなければならない。その證明を與へるものは構想力の形成作用である。生が想像的なものであるといふ意味において幸福も想像的なものであるといふことができる。

 人間を一般的なものとして理解するには、死から理解することが必要である。死はもとより全く具體的なものである。しかしこの全く具體的な死はそれにも拘らず一般的なものである。「ひとは唯ひとり死ぬるであらう」、とパスカルはいつた。各人がみな別々に死んでゆく、けれどもその死はそれにも拘らず
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