る。その際見逃してならぬことは、この現代哲學の一つの特徴が幸福論の抹殺と關聯してゐるといふことである。
幸福を單に感性的なものと考へることは間違つてゐる。むしろ主知主義が倫理上の幸福説と結び附くのがつねであることを思想の歴史は示してゐる。幸福の問題は主知主義にとつて最大の支柱であるとさへいふことができる。もし幸福論を抹殺してかかるなら、主知主義を扼殺することは容易である。實際、今日の反主知主義の思想の殆どすべてはこのやうに幸福論を抹殺することから出發してゐるのである。そこに今日の反主知主義の祕密がある。
幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考へねばならぬといふのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に對して、自分が幸福であることよりなほ以上の善いことを爲し得るであらうか。
愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であつたのでなく、反對に、彼等は幸福であつた故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。日常の小さな仕事から、喜んで自分を犧牲にするといふに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるといふことは幸福
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